2007年11月19日月曜日

死亡通達人の憂鬱

私の仕事は通達人だ。
伝えるのは人の死。
誰がいつ何処で死んだかをその家族に伝え、遺体の引き取りや葬儀を速やかに行ってもらう。
この国では毎日多くの人が誰に知られることなく死んでいくので、需要は意外と多い。
公的機関や企業が主な取引先だ。それ以外の、特にプライベートな場面で知らせる人が回りにいることが多い。まれに個人で依頼に来る人間もあるにはある。
予想は立つかもしれないがこの仕事、万事明るいことは無い。むしろ無用に攻められたりすることの方が多い。
それでも何故この仕事をしているかといえば、もし自分が誰に知られることもなく死んだ時に知らせたい人がいるからに他ならない。
自分の死を知って欲しい人がいるからこそ、他人の死を知らせに行くのだ。
自分の死だけ都合よく知らせてもらおうとは思わない。
そんな信念を持って仕事をしている私にも今回は仕事を続ける気力が失せる出来事があった。

キンコーン♪
いつものようにドアフォンを押す。最近では珍しい金属的な音がこちらにまで聞こえてくる。
『はい、どちら様でしょうか?』
ドアフォンのスピーカから聞こえてくる女性の声。
この時の声はまだ何も知らない平穏な調子で私を迎えてくれる。
当然と言えばそうなのだが、ここから先のことを想像すると毎度の事ながら心が痛い。
この心労に耐え切れずに辞めていく者も多い。
自分が発した言葉で相手が泣き崩れたり、怒ったり、酷いときには殴られたり。
「この仕事は他人の笑顔を奪うのが仕事だ。」
今となっては顔も思い出せない先輩が辞めるときにため息混じりに言っていた言葉だ。
当たり前だけど言葉にされると染み入るものがある。
初訪問の時にたまに思い出す程度のこの言葉が、よりによって今回思い出されたのは皮肉としか言いようが無い。
「通達社から参りました。この度はお悔やみ申し上げます。」
毎度ながらのこの科白にも、かなりの矛盾を感じざるを得ない。何も知らない相手にお悔やみなんてあったものではないのだから。
我が上司曰く、「無駄が省ける最も効率の良い科白」だそうだが、内心そこまで割り切れるものでは無いだろう。或いはそうでも思わないとすぐに感情に流されてしまうのだろうか、いやあの上司にそれは考えにくい。
話が逸れたが今回の通達、ここまでは何時も通りであった。この後は死亡人についてこちらが持っている情報を伝えれば一案件完了。もう一件行って昼食にするのが大体のパターンだ。
ところがドアを開けて出てきた女性が行った言葉がその予定を大きく狂わせた。
「・・・・・・あら?お帰りなさい」
(これも続かん、というか文章めちゃくちゃだな)

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