地球の自転やらなんやら、暦と季節を一致させるって名目で存在するらしい閏年。
でもこれだけ異常気象なら、ずれても大して影響ないのではないかと思う。
面白いと思ったことが面白くなくなる、なんていうのはよくあることで、人はそれを成長とか呼んだりするが、しかし、それでの続けなければならないことがあったりもする。
それを続けるのもまた成長するってことになるという意見もあるので、結局なんだか分からなくなって 有耶無耶のまま収束することになってしまう。
時代遅れの書物を読むと、その能天気さに笑ってしまうことが多々ある。自分が生まれてから出た本ほどそういう傾向が強い、逆にもっと昔の書物は、戦争などで淘汰されていたりするので、割と納得することが多い。
といっても最近、そこまで昔の本など読んでいない。
最近の読みやすい本ばかりだ。
ただ、小説でも読めるものと、まったく読みたくないものがあると今更ながらに気がついた。
毛嫌いせずになんでも読んでみようと適当な縛りで呼んでいたが、たまに「誰がこんなものを読みたいのか」と思ってしまう書物に出会う。
そういうものは幸運にも借りてきた本なので、痛手は少ないがそれでも外した感は否めない。
逆にあたりの本だと驚くくらいに早く読める。
時間が時間が経つのも忘れる、ではなく時間がそう経たないうちに読みきってしまう。
自分の性に合わない本を好きな人と話って合わないだろうな。
音楽とか写真とかもきっとそうだろう。
その「性」がない人ってどうなのだろう。
話す材料が少ないから、話していて「分からん」、「知らん」で話は終わって、最終的に聞き流すんだろうな。
そういう人が一番嫌いだし、腹が立つ。
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